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CFコーチの逸材発掘インタビューCFコーチの逸材発掘インタビュー

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「当てにされ、信頼される企業創り」に貢献し続けて40年。
けんちゃんのMY SONGSは「見果てぬ夢」。
追いかけても追いかけても追いつかない、
永遠の夢を追い求める人生。モットーは「死ぬまで現役」
夢は「大型バイクで1年かけた日本一周」です。

(写真は、HONDA・CB1100・RS)

有限会社 吉冨財経センター
株式会社キャッシュフローコーチ熊本
代表取締役
吉冨 健一 さん

26歳で創業して今年で創業42年、
この間ず~っと企業の財務体質改善に貢献されている吉冨さん。

現在は、税理士である奥様とともに、
約40年前に立ち上げた記帳代行会社(有)吉冨財経センターと、
7年前に立ち上げた(株)キャッシュフローコーチ熊本の代表取締役として
社員12名の組織運営をされてらっしゃいます。

今後、記帳代行会社を後継者に譲り、キャッシュフローコーチを
これからの天職として取り組んでいかれるご予定です。
吉冨さんの仕事観、人生観、「自立と自律」がキーワードの
社員教育、経営者人生における大ピンチ体験談や吉冨さんの
「見果てぬ夢」についてうかがいました。

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みなさん、こんにちは!
2019年12月にCFコーチ養成塾を修了しました
大宮10期の大橋 弘子です。

大阪1期の吉冨 健一さんを取材させていただきました。

【死んでいった人の分まで生きなさい、
 
そして世のために貢献しなさい】が私の行動基準!

吉冨さん、今日はよろしくお願いします。

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2枚目は疲れるから、
3.5枚目で書いておいてね。

大橋さんね、ウルトラマンの
カラータイマーと一緒で、
標準語でのやり取りは
3分位しか持たんと思うとよ。

毎日が熊本弁だから…

だけんが
各自勝手に翻訳してはいよ!

後ね、2枚目は疲れるから、
3.5枚目で書いて頂戴な。

ハハハ~、わかりました。
ところで、吉冨さんは、現在どのような取り組みをされていますか?

仕事が無いったいねえ。

え?今、なんて言われたんですか?

吉冨財経センターの仕事は、社員がみんなやってくれるけんが、
僕は全くの窓際社長、ヒマ~!!(笑)

吉冨さんは、YouTubeにて財務改善道場や
オンラインによるダイレクトコンサル等、
時代にあったコンサルスタイルで、常に発信し続けていますよね。
それは、どんな思いからきているんですか?

私の生い立ちを言うとね、
昭和28年の5月の熊本生まれ。

生まれた一ヶ月後、昭和28年の6月に熊本は大水害が起きて、
その時、私の住んでいた借家も流されそうになったそうな。

まわりの家は、ほとんどが流されたらしい。
この水害で、500人くらい死者・行方不明者が出とるったいね。

68年経った今でも、毎年この日には慰霊祭が行われとったい。

両親から
「死んでいった人の分まで生きなさい、そして世のために貢献しなさい」
と小さい時から言われていて、
それがずっと僕の行動基準になっとるとたいね~。

「役は喜んで引き受ける・何かお役にたつことはないか?」
と思ってすぐに動くのは、このせい!

40年前からCFコーチをやっていた!?

吉冨さんのプロフィールを拝見すると、大学卒業後、
就職された税理士事務所から2年で独立されているんですね。

それがね、なかなかのブラック税理士事務所で(笑)

労働時間は長いし、歩合制の安い給与では、
税理士を目指している妻とは一生結婚できないと思って辞めた。

ところが辞めた後、我が家の電話が、
ジャンジャンバリバリ(パチンコ店か?)の状態。

お客さんから「何で辞めたんだ」と。
「辞められたら困る、これからも当社を見てくれ」
とのラブコール?がドッチャリ。
10社以上から電話が来た。

「うちの会社に経理で入ってくれ」という話も4社あった、
それも破格の待遇たいね。

「僕、日商簿記の2級しか無かっですよ」と先方に言ったら、
「税理士はどっかで探す!とにかくおまえさんが良かったい!」
と言われて、これらの面倒を見るために、
記帳代行サービスを立ち上げたのが辞めた26歳の1月。

税理士事務所にいた時には、
顧問先の記帳の無駄・無理・ムラを見つけて、
合理化を図るとか、借入金の相談にのる・資料を作る、
経営者と社員の問題の悩みを聞くなど…していた訳。

それがたいぎゃあ良かったらしい。

当時の先生からは、税理士事務所の職員がやることではない…と、
しこたま怒られとったけどね。

この顧問先からのラブコールが無かったら、
私は高校の教員免許をもっていたので、
税理士事務所をあきらめ、教師になっていたかもしれんとたいね。
今思えば、これがその後の人生を決めたことになる!

当時、すでにCFコーチの仕事をやられていたということですね。

ミカン箱一つで税理士事務所開業

税理士事務所や計算センターを設立されたのは、
いつ頃なんですか?

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熊本市内にあるご自宅と会社
事務所は40坪・駐車場は裏に100坪(18台分)

私の収入が安定してきて、
当時2科目合格していた妻と私は、
私が28歳の時に結婚した。

それから、5科目全て合格した
妻が30歳の時に設立した。

そこでこれまでの
記帳代行会社(個人)を昭和59年に
吉冨智子税理士事務所開業と同時に
(有)吉冨財経センターとして
設立したったい。

ほぼ同時期に全国規模の飲食業フランチャイズチェーンの
計算センターの業務を受託して、そことは現在も取引は継続中。
やがて40年になるかなあ。

地域を担う「100年企業創り」に貢献

吉冨さんは、フランチャイズ(FC店舗)を
どのようにサポートしているのですか?

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「信頼され・当てにされる企業」を
地域に1社でも多く創ることが使命です。

財務と税務の両面たいね。

財務は月次試算表の作成も含めて、
(有)吉冨財経センターが担当し、
税務申告・相談は
税理士の妻が担当と分業。

お互いに
相互不可侵条約を結んどる(笑)

FC本部のスーパーバイザーは、
売ることと店舗管理に徹して
店舗を巡回し、
原価管理や人件費管理(労働分配率や人時生産性など)
資金調達から返済計画まで経理全般と資金繰りを
当社が担当とFC契約書の中でも役割分担をしとったいね。

なんさま「FCをやっていてよかった」と
オーナーさんに思ってもらうために、日々取り組んどる。

FCサポートをする上で、
特に大切にされていることは何ですか?

当社のミッションは簡潔に言うと、
(地域からも社員からも信頼され・当てにされる企業)を
1社でも多く創ることを、当社の存在意義・使命感とします。
(原文から引用)

FC店舗に長年関わる中で、
成功する店舗・失敗する店舗のルールが、
どぎゃんしたっちゃ見ゆっとよ。
成功には偶然、失敗には必然、
ここには偶然と必然が厳然とくっついている。

FCシステムは、
(商品・売価・原価・ボリューム・広告宣伝・店舗の作りなど)、
ほぼ同じなのでトップに立つ経営者のやり方一つで、
売上や利益に大きく差がつくったいね。
これが怖い。

このFC店では何が足りないのか?
どうすれば現状から脱却できるのか、
どうすればもっと伸びるのか…
気づいてもらえるようにいつも接している。

答えは相手のなかにあるのが殆どだから。
1年後の決算を予測しながら動いていく。
予実対比しながら。
10ヶ月経ったら、来期の予算も一緒に考えていく。

FC店舗のオーナーと、本部のSV(スーパーバイザー)とが、
当社の資料を共有し、一緒になって解決していくのが、
基本的な財経センターの立ち位置だ。

今、このFCサポートは
社員さんもされているんですよね?

そぎゃんたい。
熊本から片道200キロ先でも、
女性社員は泊りがけでガンガン出張している。
(熊本・大分・宮崎の全県と、その他鹿児島・佐賀・福岡の一部まで)
がエリアで、約200店舗を受け持っているけんが。

社員教育の基本は、挨拶と礼儀の徹底から。
簡単な仕事をおろそかにすると、上司からこっぴどく怒られる。

次にはインタビューの徹底。
私はそれを「突っ込みインタビュー」と呼んでいる。

最初のうちは
「調べてきますので、メモさせて下さい」と言って帰って来る。
知識も経験も無いうちはね。
自分が全てに答えるレベルになるには時間がかかる。

聞いてきたスタッフは、上司にその日のうちに報告・相談し、
それが先方に直ちにフィードバックされる。

インタビューが上手か下手かによってその後の
仕事の質・スピード・信頼関係にハッキリと差が出てくる。
ウチの社員よりも、あんたの方がウチを詳しく知っているね!
と言われることもしばしばあるようだ。

専門の仕事は、経験を積めばレベルアップしていくけど、
コミュニケーションの差は、
後からじわじわと広がってくるったい、これ本当。

吉冨流!社員教育

「インタビュー」これが意外と難しいですよね。
どのように教育されているんですか?

税理士事務所の職員というのは、
本当に恵まれている職業ですよ。
だって入り口から社長室まで、まっすぐ入れるし。

そこで人生経験豊富な社長や奥さんの話が直接聞けるでしょ?
こんなにラッキーな仕事は無かったいね。

「税理士事務所の職員というのはハッピーな仕事だよ、
 
本当に自分の人生に役立つんだから」

と私はいつも言っている。
知らないから恥をかくのは当たり前。
どんどんぶつかって行きなさい、
失敗しても責任は会社が持つから…だけんが、
ガンガン飛び込んで行くったいね。

経営者は基本的に、しゃべりたがり屋ったいねえ。
当社の社員が行くと、待ってましたとばかり喜んでしゃべる。
周りに誰も聞いてくれる人がおらんとかい?(笑)
最初はそれでいい。良好な関係が出来るから。

話も終わり近くになって、
「ところで社長、ここどうされますか?どのようにお考えですか?」
などビジネス本来の話が出来るようになる。
そのためには日頃から、いろいろな情報を得ておく事は大切。

後は時々、饅頭でも持って行って行くだけで喜ばれる。
先方から、「次はいつ来てくれる?」と言われると社員も嬉しかよね。

月に一度の全体会議で
「先方から、こんな話がありました。」
「このように対応しました。」とか
一人一人が全員コメントして情報を共有している。
A4の1枚に(今月学んだ事・上手くいったこと・
上手くいかなかった事など)を。

あと毎月1冊の本をみんなに買って読んで貰う。
専門以外の見識を広げるために。
これまでに当社の女性社員3人が顧問先の後継者に嫁いで行った。
最大の貢献だね(笑)

ほったらかしで育つ社員さんの30年仕事表
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第31期経営指針書

あとね、「30年仕事表」
という1枚の表を約20年前に作ったったい。

当社に入ってこれから約30年間、
どんなことをやったら、
どうなるという自主教育プログラムたいね。

何度もマイナーチェンジを繰り返した…
社員は、出来たところは消していって、
次の目標に印を付けて…
自分で進捗をチェック出来る。

当社は、新人の入社初日に、
経営指針書、就業規則など諸規則一覧、
「30年仕事表」

一式渡して説明するのが私の仕事。
3時間はかかるなあ。
今はこっだけが私の仕事たい(笑)

「30年仕事表」
「これが当社であなたがやる仕事の一覧。
 
どんな仕事が待っていて、どのようにレベルを上げれば、
 
どのような仕事が出来るようになるとか、相手に認められるとか…」
が書いてある。

そうすると勝手に「自立と自律の社員」に育っていく。
しかし、誰もがその通り順調に行くわけがない。
だから追っかけの社員教育は常に必要。

そうやって、社員が育って自立していくけんが、
私は自分で自分を窓際社長にしてしまったったい、
自業自得(笑)

道筋を見せてあげて、そこをどう進んでいくかは
社員さん自身ということですよね?

「いつまでに(期限)どのレベルまでにしてちょうだい」
ということを毎月1日の会議で確認する。
その月の全体スケジュールを作る時同時に。

あとは各自、勝手に工夫しながらやれと。
相談があったら答ゆるばってん、最近はほとんど来ん、
リーダー達がやってくれるから。
教員免許を取ったときに勉強したのが、
ココで役に立っとるとたい。

経営者の仕事は環境・労働条件の整備と
向上・舞台装置係・主役は社員たい!

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最大の経営の危機

ところで、吉冨さんにとって、
今までに最大の経営危機はありましたか?

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資金繰りを計算して、
内部留保を切り崩してもちこたえた。

平成20年に、
大口取引先からの受注が激減し、
売上が3分の1も減った。
この時が一番の経営の危機だった。

しかし、いつ何が起きるか
分からないと思って、
危機への対応という発想で、
ずっと内部留保を積み上げていた。
その時、年間売上の減少額と
同等以上の内部留保があったから
助かった。正にCF経営。

それでも、このままの現状を放置していたら、
18か月目で内部留保がなくなると分かった。

18か月しか持たないと思うのか、18か月も持つと思うのか。
僕は ポジティブな人間なので、18か月も持つと思った。
よし、この18か月の間に新しいことをやるばいとね。

その時、心配でオロオロしている
社員の給与とボーナスをそれでもアップした。
普通なら下げて当たり前の状態だったけど、
社員を信じてそれはしなかった。
(これも内部留保のおかげ)。

誰も引かない(人員カットをしない)、
何も引かない(給与カットをしない)
と言い切った。

しかし役員報酬をゼロにして、
各種経営者クラブ(ライオンズなど)からの退会や、
オンボロ車の買い替え予定をストップなど、
自分自身を真っ先にリストラした。

社員は、役員報酬を下げたと言っても、
「ふぅ~ん」たいね。見えんから。
社員の目に見ゆるところでどんどんカットしていったから、
みんなに緊張感はあったと思う。

そうこうしている間に、
大口取引先からの売上も戻り始め、伸びてきた。
負けてたまるかと、社員も一丸で頑張ったから。
今ではそれ以上の売上を作ることが出来ている。
内部留保も当時を大きく超えている。
しかし時間はかかったなあ。

見果てぬ夢

2年後、70歳でリタイアされたら、
どうされるんですか?

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けんちゃんのMY SONGSは「見果てぬ夢」
から始まって、ラストは「虹の彼方へ」

私のマイソングは、
ミュージカル・ドンキホーテの
主題歌「見果てぬ夢」たいね。

私には、ここで終わりとか、
すごろくでいう(上がり)は
まだない。

だから今の会社を辞めても、
更に先へ邁進。

「死ぬまで楽しく現役!」がモットー。
今が68歳だけどマダマダ。

会社を作ったときから、
後継者は社員からと決めていた。
子供2人には、それぞれの好きな道を歩むように
小学生の時から話していたので、今では全く違う道を歩んどる。

親は公務員で、それこそミカン箱ひとつから2人で始めたから、
子供への承継は最初から夫婦とも考えてなかった。

今回の後継者は、
20歳の時から頑張ってくれている女性社員。(年がバレた)
これまでしっかりと後輩を育て、
貢献してくれてきた生え抜きの主婦。
年は私の一回り下。

その次(3代目)も育ちよる。
2人が良いペアでやってくれると思う。

会社に会長職とかで残るつもりは一切ない、
邪魔だもん二代目にとって。
スパーンと消える。

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CFコーチとして九州各地を動き回る!

その後は、
熊本駅の新幹線ホームの近くの
マンションに事務所を構えて。
(九州各地を動き回るために、
 
高速バスの始発地でもある)
一人でCFコーチに専念する。

7年前に、大阪1期で
和仁理事長に会えたのは、
まさに天の神様からの贈り物。
その後の人生を決めた出会いだった。
(感謝でウルウル)

ブロックパズルがこのように役に立つとは、
当てにされるとは…
正に目から鱗。

社員にもタイミングを見て、
次々にCFコーチになって欲しいと考えとっとよ。
(清家君その時は宜しく)

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棺桶に峰楽饅頭を入れてね。
黒と白と1コずつ。

今からの私は、
オンラインのダイレクトコンサルを
どんどん広げ、それをキッカケに
本来のCFC契約を取りたい。

私も75歳を過ぎたら、
運転免許の返上を
考えにゃあいかん。

そしたらその前に、
大型3輪バイク(トライク)で、
1年かけて日本一周をする。

この為に55歳で大型バイクの免許を取ったんだけん。
この間仕事は中断。帰ってきたら心残り無く、健康が続く限り、
生涯現役で人生を謳歌するたい。
やっぱ私は仕事が好きばいた(笑)

吉冨さん、ありがとうございました。
3.5枚目になるように書かせていただきます(笑)

CFコーチ協会の既存会員へ一言
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どんどん稼いで、CFコーチの実績を
つくっていただきたいです。

CFコーチの資格を取るだけで
止まるのではなく、
自分の得意分野を突破口にして、
ビジネスへと邁進しまっしょい。

ちなみに私の得意分野は
「財務改善と経営計画作成」
バッテン。

間口を広くするのではなく、
ニッチに狭く深く。

今の世の中、プロ中のプロを
探していると思う。

あとプロ同士だからこそ出来る連携は、
今後重要になるやろなあ。

これからCFコーチになりたい方へ一言

なぜ、CFコーチになりたいのか?
一番根底にある「志と使命感(自分は何のために存在しているのか?)」
をしっかり持ちましょうや。

自分の得意分野で相手に対抗し、
正当に評価され契約締結に繋げるばい。

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吉冨さんと大橋
最初から最後まで
笑いっぱなしの対談でした。

ただ、資格が欲しいからじゃなくて。
その資格が自分のどこを活かして、
相手にどのような貢献ができるのかを
深掘りしていかないと、
資格を取って終わるだけになるかも。

CFCは、今までの仕事の幅を
大きく広げてくれます。
「世の中が私を待っている!」
と言う気持ちで頑張りまっしょい。

私は、今までずっと現場主義でやってきた。
(水産会社・スーパー・トラックの運転手など)
これら多くの業種・現場で培った
実体験の中から、今の私がある。

絶対にこれは相手にとって
プラスになるという信念を持ったCFコーチが、
これからも日本中にたくさん出てきて欲しいと
心より願っとりま~す。

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<文責> 大宮10期 大橋 弘子
https://start-up-way.com/

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